大熊神社

大熊神社(おおくまじんじゃ) http://slurl.com/secondlife/Fanghammer/170/26/22
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南熊ヶ屋にある神社。オオクマノヤマノミコトとクマナダヒメが奉られている。創建はかなり古い時代に遡るとされているが、今尚語り継がれる「森の熊山大噴火」によって倒壊、焼失したとされてきた。この度の熊温泉リゾートプロジェクトの再開発調査のため、現地入りした熊波大教授熊田広氏のチームが神社の遺構を発見、その詳細な調査を元に住民の意思もあって神社再建となった。

この発掘調査では貴重な文物が発見され、中でも「大熊神社縁起」はこの地に伝わる歴史を記したものとして貴重である。これがほぼ完全な形で出土したのは奇跡だと同教授は語っている。「縁起」の内容はおよそ次の通りである。

「クは黒なり暗黒なり、マはすき間、空間なり、而(しこうし)て、クマとは宇なり宙なり。生きとし生ける者を包み守(も)りたる大いなるものなり。故(かれ)、黒き大けなるけものに熊(くま)と名付け、駒(こま)と名付けたるなり。或(ある)は、猛(たけ)く、大けなる国に高麗(こま)、或は肥後(こま)とは名付けたるなり。

「それ広大なるクマ(注=宇宙)中にクマノミナカヌシあらはれり。こは独神(ひとりがみ)なり。天地(あめつち)を生みたまふ神なり。地にはクマトコタチあらはれ、民草を導けり。八代目クマトコタチはクマナミノミコトなり。クマナギノミコトを夫(つま)に迎え、共に国を治め、大いに栄えるなり。クマナギノミコトクマナミノミコト、みとのまぐわいして、三人(みたり)の神を産む。オオクマノヒノミコトオオクマノツキノミコトオオクマノヤマノミコトこれなり。

クマナミノミコトオオクマノヤマノミコトを孕みしは、水多き陰の巡りの時なり。故(かれ)、クマナギノミコトこれを憂う。オオクマノヤマノミコト産みし時、クマナミノミコト身罷れり。クマナギノミコトこれを大いに嘆き悲しむ。オオクマノヤマノミコト、長じてその母を知らぬを悲しび、大いに暴れ、国を荒らす。これによりて田の実り少なく、国人(くにひと)大いに嘆く。故(かれ)、クマナギノミコトオオクマノヤマノミコトを熊野に神(かむ)やらいにやらいたまひき。

オオクマノヤマノミコトいたく悲しびて、姉神に会ひに行きき。すなはち会はうとせず。「わが弟(をと)邪(よこしま)なる心あらむ。」答えて曰く、「父、吾を熊野に神やらいにやらいたまひき。吾に死ねとか思し召さむ。」ヒノミコト「熊野と言はば、クマタノヲロチなる大蛇ありて、貢物を求め、民を喰らふ、かの大蛇に会はば生きて帰る者なしとなむ。」共に嘆きて、一束の剣を取り出だす。「こはクマナギノ剣ぞ。母ナミが父に嫁ぎし時、その父神より給はれしものなり。父神曰く、邪なる者あらば迷わず斬れと。ホコとはすなわち邪なるを正す意なればなり。今この剣を汝(なれ)に遣わさん。もし大蛇邪なればこの剣汝に力貸さん。もし汝邪なれば、必ず天怒りて剣を三段(みきだ)に砕き、汝の命なからん。」と。オオクマノヤマノミコト、矛を戴き、姉神のもとを去りき。

オオクマノヤマノミコト、熊野の地に至りて泣き声のする家に行き当たりたり。言問へば、家の娘クマナダヒメ、その夜大蛇が迎へに来るとなり。クマナダヒメ、いとうつくしき有様なり。オオクマノヤマノミコトその父に曰く、「もし我大蛇を退治せば、この姫を娶らんと思ふ。如何。」と。父、「諾」と。オオクマノヤマノミコト、九つの酒樽を置き、自らクマナダヒメになりすまし、その床に入りたり。夜になりてクマタノヲロチ現れたり。大蛇酒を好めれば樽たちまち空になりき。大蛇クマナダヒメを奪はんと床へと近づけり。すなはちクマナギノ剣光りてオオクマノヤマノミコト現れり。大蛇、光でもの見えず、足元覚束ず、一太刀にて斬り斃されたり。熊野の民皆これを喜べり。

「オオクマノヤマノミコト、改めて娘に問ひて曰く、「我、汝(なれ)を妻(つま)に迎へんと思う。汝の心如何。」と。クマナダヒメ歌ひて曰く、

   愛(は)しけやし 我が夫(つま)
   恐ろしき クマタノヲロチ
   討ち取りて 国を統(す)べれば
   オオクマノ ヤマノミコトと
   永久(とこしへ)に 汝を讃えて
   永久に 汝と添い遂ぐ
   愛しけやし 我が背(せ)

故(かれ)、共に南なる熊ヶ浦の海にて御祓ぎしたまひ、契りて九日九夜の宴(とよのあかり)を催したまふ。人皆大いに楽しめり。楽の音を奏で、やほいやほいとて叫びつつ九日九夜踊り続けたり。これ熊踊りのはじめなり。宴の後、その地に宮を建てて住みたまふ。故、この地を南熊ヶ屋とは言へり。民と共に田を作り、共に戦ひ、共に暮らす。民、これを喜ぶ。オオクマノヤマノミコト身罷りし時、同じ日同じ時にクマナダヒメまた身罷れり。これ睦まじき夫婦(めをと)の証なり。故、国民(くにたみ)これを嘆き、またオオクマノヤマノミコトとクマナダヒメにあやからんと、かの地に社を築き常に崇(あが)む。これ大熊神社の由縁なり。」

尚、原文ではクマナミが「玖摩奈美」、クマナダヒメが「玖摩撫多比売」となっているところから、それぞれ松木奈美氏、ナダ氏との縁戚関係を取り沙汰する声もあるが、熊田教授は、「確かに音は似ているが、まだ詳しく調べてみないことにはよくわからない」としている。

  • 最終更新:2009-10-23 19:50:13

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